映画「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」壊れた心の再生
こんにちは。
Yammyです。
公開以来、ずっと気になっていた映画「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」を観たので、レビューを書いて考察してみます。ネタバレも含まれているので、ご注意ください。
邦題のセンスに感服する映画
原題は「DEMOLITION(デモリション)」
DEMOLITIONを直訳すると「解体」という意味になりますね。
「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」という邦題を付けたのは正解だったと思います。「解体」では、一部のマニアを除いて、一般の人が興味をそそられることは無いでしょうから。(私はそそられます。機械の解体が大好きなので)
この映画が好きな人におすすめ
ジムキャリーの「トゥルーマンショー」や、「イエスマン」など、一風変わった主人公を描いた作品が好きな人におすすめです。
また、テンポはゆっくりだが、斬新な展開で深い考察が必要な作品が好きな人にもおすすめです。
抽象的なシーンが多く比喩を多用した風変わりな映画
この映画は、とても抽象的に事象を描いているので、一見すると「何が言いたいのかわからないな」と思うはず。
よほど共感性の高い方でも、その会話や描写の意図を理解するのに時間がかかるかもしれません。
もしかしたら、私のようなADHD/ASD気質のコミュ障の方が、理解しやすいかも。
いずれにしても、その抽象度の高さが魅力の作品です。
「今のシーン、どういう意味だったの?」と、考察しながら観るのも一つの楽しみ方です。
壊れた心を一旦解体する
ここからはネタバレも含まれているので、ご注意ください。
この作品は、ジェイク・ギレンホールが演じる「デイヴィス」が主人公です。
彼は、冒頭のシーンで妻が運転する車に乗っていましたが、事故に遭い、気づいたら病院の待合室に。そこへ、妻の父、つまり義父がやってきて、
彼女(妻)は死んだと告げられるのです。
なんともアッサリした描写で、本当に人が亡くなったという重さを感じさせないのが不思議でした。しかも、冒頭の数分の展開。
主人公の心は元々、壊れていた
妻を失ったことで、主人公の心が病んだのか?と思われる方も多いでしょうが、察するに、主人公「デイヴィス」の心は、元々壊れていたようです。
繰り返す日々の中で、何の不自由もなく順調に日々を過ごしてはいたものの、何か欠けている。
多分、デイヴィスに欠けていたのは「感じる心」だったのかな。あとは「他人への興味」もない、無機質に近い...まるで機械化したようなイメージです。
だから、妻の些細な変化に気づかなかった。
そして、妻を失ったあとも、悲しみを感じることもなく過ごした。
ただ、妻の居ない生活に違和感を感じ、本当は何か大切なものを失っていたのではないかと気づいたデイヴィス。
壊れたものを解体することで、何がおかしいのかを突き止めようとします。そこから、彼の「解体」への執着が始まります。
解体が意味するのは
デイヴィスがなんでもかんでも解体をしていたのは、自分の心のように、異物感があって何かスムーズにいかない、しっくりこない、すっきりしないものを、原因がわかるまで分解してみよう、という意図を表しているようです。
カレンとのコミュニケーションが「心の解体作業」
さて、デイヴィスはただひたすら「物質」を解体していたわけではありません。
彼は、自分の心も解体しようとしていました。
それは、冒頭で出てきた「壊れた自動販売機」の顧客相談センターへの手紙から始まります。
カスタマーセンターのカレンとのやり取りで、彼は、自分自身の気づかなかった奥底に秘めた人間らしさに気づいていきます。
楽しい、と感じること。
世界の異変に気づくこと。
自分を表現すること。
誰かを想うこと。
そして、悲しみに気づくこと。
主人公が得たものは何か?
最後に、この映画を通して、主人公が何を得たのか?私自身は何を得たのかを考えてみた。
主人公は、きっと自分自身と向き合うこと、他人を想うこと、壊れたものを直すこと、を習得したのではないかと考えられる。
私自身は何を得ただろう。
まだ、わからないが、ジワジワとこの作品が伝えようとしている意図を振り返っている。
今のところ、「壊れた心の再生は可能」だという希望を持てたかな。
私のように、物心ついた頃から心が壊れていた人間はどうなのか、それは分からないけど。
映画を観たあとの感想を共有したくなる作品
実は、友人と一緒に観た作品なのだが、深い考察をしそびれて「なるほどね〜
」の一言で片付けてしまったのが惜しい。
友人に「こいつ頭おかしいのか」と思われてもいいから、映画を観た感想を伝え合えたら良かったのに。
その後も、この作品のことが頭から離れなくて、作品について丁寧に考察している記事を見つけたので、貼っておこう。
「雨の日は会えない、晴れの日は君を想う」に限らず、どの作品も丁寧に考察されている素晴らしいサイトなので、ぜひチェックして欲しい。
https://in-movies.com/blog/2016/7/19/demolition
「うつ」を経験した私だから共感できたのかもしれない
私は、「うつ病」を経験したことがある。もしかしたら、生まれてからずっと患っていたのかもしれないが、30歳を過ぎてから、ガチの鬱を経験した。
まだ、完治したとは言えないが、おそらく、回復してきている。
薬は飲んでいない。
なぜなら、一度でも薬を飲んでしまったら、絶対に依存するから。
一生、飲み続けると決めたなら、覚悟を決めて薬に依存する。
けれど、薬がなければまともに人間らしく生きられないのなら、生きる理由はないと感じる。そうでなくても、生きているのは苦痛なのに「これがないと自分が自分じゃいられなくなる」なんて状況になったら、生きることを諦めてしまうだろう。
この作品は、「死」を取り扱っておきながら、死ではなく「生きる」ことにフォーカスしているようだ。
いかに生きるか。死を身近に感じた時、今一度、自分に問いたいことである。
日常の忙しさや、虚無感、他人とのすれ違いで、心が疲弊してきた時、全てを投げ出したくなる、ぶっ壊してしまいたくなることがあるけど、
自分の心を解体することで、その衝動を抑えられるかもしれない。
映画の中では、人とのコミュニケーションが心の解体に影響していたけど、自分自身、または誰かにむけた手紙を書くことも有効かもしれない。
できれば、カウンセリングなんかを有効活用したいところだけど、良いカウンセラーを見つけるのは、素敵な恋人や、気のおけない親友を見つけるより難しいと思うから。
なんのために生きているのかは分かりたいし、生きるための理由が欲しいよね。
あなたにとっての生きる理由が、あなたの人生を幸せに彩りますように。